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Myitkyina ミッチーナ  Myanmar_2014   MAP

ミッチーナでとある青年と知り合い、バイタクの運ちゃんとしてミッソンという場所まで案内してもらいました。ミッソンはミッチーナの郊外にあり、二つの川が合流しイラワジ河となる地点。すなわちミャンマーの母なる大河イラワジのゼロポイントです。ミャンマーの人々にとっては特別な感慨がわく場所であり、地元の人たちがピクニック利用するような行楽地でもあります。上の写真がそのゼロポイントですが、個人的には特に感想はありません。

で、その青年の話です。仮に彼をJ君とします。Jはミッチーナ生まれのカチン族で24歳。6年間タイで働き、3ヶ月前に故郷に戻ったばかりだという。彼が語ってくれた彼の祖父と父親の話は、カチン族の歴史を端的に象徴しています。彼らの現代史を少し調べてみました。

Jの祖父は先の大戦で、日本軍を相手に戦ったという。
英領ビルマ時代、イギリスは主要民族であるビルマ族を支配するのにカチンやカレン、シャンなどの少数民族を兵士として雇いました。少数民族のビルマ族に対する反感を利用したのです。一方で日本軍はビルマ進出にあたりビルマ人のイギリスからの独立運動を利用した。ビルマ人知識階級を軍事訓練しイギリスの植民地支配に抵抗させたのです。Jの祖父もこの構図の中にいたと思われます。

日本の敗戦を経てビルマはイギリスからの完全独立を果たしました。カチンやシャンなどの少数民族はビルマ連邦独立後の民族自決権を約束されていましたが(パンロン協定)、その約束は反故にされ、民族闘争へ発展していく。ビルマ軍の主力でもあったカチン族部隊はKIO(カチン独立組織)へ合流し、KIA(カチン独立軍)を組織した。KIOの軍事部門がKIAです。Jの父親はこのKIAに属して政府軍と戦い、亡くなったそうです。

ミャンマーは国土の中央の低地部分にビルマ族が多く住み、周縁部の山岳地帯に少数民族が居住しています。カチンもシャンもカレンもそれぞれ中央政府に対する民族闘争を繰り広げたのですが、ミャンマー政府は近年になって続々と各民族との停戦協定を結んでいます。KIAは現在でも抵抗を続けている数少ない組織のひとつで、カチン州内に今でも彼らの解放区があり、その周辺で戦闘が断続的に続いています。

Jは高校を卒業した時点でKIA入りを熱望しましたが、母親が泣いて反対した。放っておけば間違いなく兵士になってしまうと考えた親族が尽力し、彼をタイに出国させたそうです。Jはバンコクで職を得、6年間働いてミッチーナに戻った。私が彼と会ったのはその直後です。

Jはミッチーナで一応仕事についていました。しかし、6年に及ぶ海外生活も彼の熱を冷ますには至らず、来年くらいにはKIAに合流したいと熱心に話すのです。写真は直接関係ありませんが、バモーで見たユニセフの看板。子供たちが戦いに参加しないよう啓蒙しています。

KIA=カチン独立軍は本気で独立を目標としているのか。独立してカチンは国として経営していけるのか。かねてからの疑問を彼にぶつけてみました。一瞬答えに詰まったあと、いや、俺たちはもっと高度な自治権が欲しいんだ。ビルマ族は我々を何度も何度も裏切った。カチンのことはカチンが決める。中央に対する不信感が滲み出るような返答でした。

ミャンマーの少数民族のビルマ政府に対する不信感は『森の回廊』(吉田敏浩著 NHKライブラリー)という本に詳しい。その過酷な経験からくる不信感は心から共感できるものです。一方で、カチン民族同士でも、部族間の差別意識から分裂し政府軍に協力している事例も紹介され、さらに複雑な構図も知ることになる。

Jによればカチン州の多くの市民がKIOに資金を提供しているそうです。報道などによれば中国との密貿易、主にヒスイの取引がKIOの資金源だそうですが、カチンの一般的な市民の中にも一定の、もしかしたらかなりの割合での支持があるのでしょう。これまでも政府とKIOは停戦と戦闘再開を繰り返してきましたが、この中途半端な状態がまだまだ続くような気がしてなりません。

ちなみに、KIOの解放区はミッチーナとバモー間のイラワジ東岸、中国との国境地帯にあります。ミッチーナからイラワジ河をボートで下ってバモーに移動する予定だった私は、たまたまこの近辺で起きたドンパチで計画変更を余儀なくされ、大回りをしてバモーに移動することになったのでした。

ミッチーナの町自体はすこぶる平和です。市場は巨大で活気もあり、素朴で親切な人々であふれています。日本軍が敗走した激戦の地でもあり、遺骨収集団がたびたびこの地域を訪れているようです。

お宿の屋上からの見晴らし。こんな感じの田舎町が結構好きだったりします。

一泊20ドル。連泊することおよび朝食なしを条件に安くしてもらいました。

市場はでかいです。食料品や雑貨衣類など品目別に数棟に分かれ、それぞれのスペースも広い。

西瓜シーズン真っ盛り。

夜の大通り。どこかのお店が宣伝用にレーザーを使っていました。あまりきらびやかなことのない田舎なので目立っていた。

市場のすぐ脇の華僑会館。この辺りはミッチーナの街中でもかなり古くからある商店街ではないかと思われます。

カチンから中国雲南やインドのインパールに至る地域で、多くの日本軍将兵の命が失われた。
日本人が慰霊や遺骨収集にミッチーナの地を訪問することも多いようです。

日本人のお布施で涅槃仏が建造されました。

お約束の足の裏。

涅槃仏の近所のパゴダ。

夕焼けタイムは穏やかでした。